小さくまとまりかけていた僕に気づいた。 僕はもっと死ぬ気でやらないとだめです。 最大でも残り60年ほど。 人間いつ死ぬかわかりませんし、後悔の...

生きる理由と死を迎え入れる条件。

Update:2006-07-07 (金)
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小さくまとまりかけていた僕に気づいた。

僕はもっと死ぬ気でやらないとだめです。

最大でも残り60年ほど。

人間いつ死ぬかわかりませんし、後悔の無きように、常に全力で生きる。

少しでも多くの人たちに対して、気づかせることが、日本全体、
世界全体にとっても必要なことである。

そのために僕にできることがあるならば、
全力をかけて命を賭すつもりだ。
たかだが僕が生きていようが、死のうが世界には何の影響ももたらさない。

だからこそ全力を出す必要がある。

力が無いのならばそれを得るために最大の努力を。

そしてその力を正しく行使できるような人間になること。

あらゆる次元、階層においてトップクラスのものが求められるのならば、

それを追求するまでだ。

実現可能かどうかは問題じゃない。

破滅しようとぼろぼろになろうと、

この生命が砕け散るその一瞬まで僕は妥協も屈服もしない。

自らの信念に基づき、

愚直なまでにその道を一歩でも進んでから倒れる。

そしてその道が決して間違いではなかったことを、
信じながら意識を失っていく。

そこに誰がいようと、どんな状況であろうと気にしない。

僕は野ざらしにされようと、一人で去っていこうともそんなことは問題ではない。

『信念を曲げずに生きたか?』と自問する。

これが僕の生きる理由であり、死を迎え入れる際の絶対条件かつ納得条件である。

これが達成できるのなら、僕のなかではほかの細かなことの持つ意味は、さほど問題ではなくなり、色褪せ、意味を失っているはずだ。

真っ直ぐに、信念を曲げることなく生きること、これが全て。

以上、

22歳と5ヶ月の時点で考えたことの記録。

これからどんどん変化していくことを楽しみにしながら、
今日も祇園の街へと繰り出していく。
〔これじゃまるで芸者遊びでもしてるみたいだけど(笑)〕

丸田勝也 公明正大に、誠実に。
あなたの考えを聞かせて下さい
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